今から20年以上も前に、松下幸之助と銀行員との間に起こったエピソードを、皆様にもご紹介します。
「私がこの度、三井銀行(当時)の京都支店長を拝命することになったのも、ひとえに松下幸之助様のおかげでございます。」
話はこうして始まりました。
当時、大阪支店に転勤となったWさんは、着任早々、上司に「松下電器産業(当時)というのは住友銀行としか付き合わないから」と教えられた。
戦前の事になりますが、松下幸之助が困ったときにすごく親身に相談に乗り、資金を都合してくれたのが住友銀行だった。
それに恩義を感じた幸之助は、その後、住友銀行としか取引しなかった。
どこの銀行が取引して欲しいと来ても、「うちは住友銀行さんとしか取引しません」と言って断っていた。
でもこのWさんは、無理だと言われて俄然やる気が湧き、よし、三井銀行を松下電器にとって2つ目の取引銀行にしようと思った。
早々、松下電器を訪問すると、ペーペーの行員であるにも関わらず、経理担当の役員が会ってくれたそうです。
ただ案の定、ダメだと言われてその日は帰ったが、また翌日か翌々日に行った。
今度は経理担当の本部長が出てきて、「この間、うちの役員から話を聞いたでしょう。何度お願いされてもどうにもなりません」と断られた。
このWさんは面白いんですが、それでも懲りずにまた行く。
松下電器の方は、出てくる人が役員から担当本部長、部長、課長と、どんどん役職が下がっていき、しまいには誰も会ってもくれなくなった。
受付で名前を告げただけで、「お引き取り下さい」と追い返されるようになったそうです。
それでも、Wさんは行くのをやめなかった。
僅かでもいいから何としても取引したい、2つ目の銀行になりたいという一心で、雨の日も風の日も台風の日も関係なく、2日に一度訪問しては、受付に名刺を置いて帰ったそうです。
それを実に3年間も続けた。
置いた名刺は300枚です。
それだけ続けると、松下電器の社内でも有名人になってくる。
「三井銀行の人が1日おきに来る」。
そしてとうとう、その話が松下幸之助の耳にも入った。
恐らく役員の誰かが、雑談で話したのでしょう。
それを聞いた幸之助は、何を言ったかというと、「わし、会ってあげてもええで」と。
周りにいた人は驚いたでしょうね。
早々Wさんに連絡をした。
電話番号なんて直ぐに出てきますよね、何しろ名刺は山ほどあるんだから(笑)。
その知らせを受けてWさんは「狂喜乱舞し、と同時に汗が出てきた」という。
自分一人ではとても松下幸之助には会えない。
怖い。想像するだけで汗が出てくる。
大阪の支店長に相談したら、銀行内でも大騒ぎになって、結局、東京の本店から役員が付き添うことになった。
面会の日。
松下幸之助を前にしてWさんは、ガチガチに緊張したそうですが、嬉しいことに、同席した役員に自分のことを褒めてくれたという。
「話を聞いたけれども、私は大変感心しました。このような優秀で熱心な人がいるということは、あんたんところは素晴らしいとこですな。商売というのはこういう熱心さ、思いがないとあきまへんわ」
ただ、そう褒められたところで、「うちは住友銀行さんとしか取引しないから勘弁してくださいな」と言われることは分かっていた。
断るために、わざわざ本人が出てきたのだと。
ところが、幸之助は突然信じられないことを口にしたというんです。
「こういう熱心な行員さんがいるところならば、僅かな金額でもよいならお取引しましょうか」
そりゃもう、ビックリしたでしょうよ。
Wさんは「天に舞うような思い」だったそうです。
それから隣の役員のほうを向いたら、自分以上に驚いていて顔が真っ青だったらしい。
話が無事終わった後も、松下電器の本社にある長い廊下、社内では「松の廊下」と言われているその長い廊下を「私たちと一緒に歩き、玄関まで見送ってくれたんですよ」と、Wさんは昨日のことのように感激していた。
「それだけじゃないんですよ!」
車に乗り込んで、ようやく嬉しいやらホッとしたやら、少し落ち着きを取り戻した。
それで、ふと玄関を振り返ったら、松下幸之助がまだその場に立っていて、見送ってくれていたそうです。
「その姿を見て私、涙が出ましてね。松下さんは『経営の神様』と言われますが、私には『人間の神様』に見えました」と。
「これをきっかけに三井銀行は松下電器さんの2番目の取引銀行になることができ、その功績があったからこそ、こうして支店長にもなれました。それもこれも松下幸之助様のおかげです。」
この時もやはり松下幸之助は、Wさんを三井銀行の一行員とは見ていません。
人間として見て、人間の努力というか、行為を見ているわけですね。
※感動しました。言葉では言い表せないエピソードでした。
『人間の神様・松下幸之助』。
ほんの少しでいいから見習うことから始め、
少しずつでいいから近づいていきたいなと思います。